一輪のシアワセ

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なくならないもの

*ずっと気になっていた・・子どもの頃住んでいた家 家が傾いていますが、生憎写真はこれ一枚きり。動揺したのかも・・
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大きなお屋敷で幾所帯もの人たちと同じ屋根の下で暮らしていたのは、わたしが小学校1年生の頃まで。正面玄関からの廊下は、広い畳敷きで、その片側の二部屋と踊り場のある階段を上がった二階の二部屋が、わたしたち家族の住まいでした。

土間の広い台所の続きには共有スペースの黒光りした板の間があり、台所へ張り出した縁側で幼いわたしは肢をブラブラさせて母の立ち働く背中を眺めたものです。中庭に面したお座敷のおばあさんを訪ねたり、大きなウォーターベッドのある洋間の主であるお兄さんに遊んでもらったり。長い廊下をスキップで渡って離れに行っておやつをご馳走になって、裏庭で花を摘み。冬には前庭に積もった雪でカマクラを作り、蔵に続く納屋の梁にブランコを下げてもらったこともある・・キリが無いほど些細なことまで蘇えってきます。

大所帯の共同生活、祖母はわたしの誕生を喜んだその年に亡くなり、当時最年少だった新入りの母は、大変な気苦労だったようですが、蔵以外はどこでも出入り自由で遊び場に事欠かない・・それが幼いわたしに与えられた最大の特権だったかも知れません。そのおかげで、大体の間取りを今でも覚えているのでしょう。

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実家の前の道路が一方通行で、出かける時に必ず通る道路に面してその家はあったのです。近くなので、夕方散歩がてらに娘たちを伴い訪れてみたら、正門が壊され、新しい板塀で塞がれていて、母屋も蔵も・・見えない!離れだった部分が改築され、裏だったところが正面になっていているではありませんか。

随分前に、正面は道路拡幅の為に削られたものの、昨年までは大きな門の扉は閉ざされたまま残っていたのに。辛うじて塀の斜めの隙間から中を覗くことができましたが、完全に新地と化し新しい家とも柵で仕切られていました。

何もかも大きく見えた子ども目線の記憶と現実のギャップが怖くて、門の扉を開けて見たいような、見ないほうがいいような思いでずっと気掛かりだった家が、とうとうなくなってしまいました。

家に帰り、改めて当時の人たちのこと、祖母のこと、当時の暮らし、いろいろ母に尋ねてみました。残念で寂しいけれど、自分の中に決して色褪せない記憶があることを再確認できて良かった・・と今は思っています。
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by nonisaku-hana | 2009-08-20 01:41 | 故郷
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花鳥風月を友とし、ささやかな幸せを喜び感謝するわたしの大切な日々。


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