一輪のシアワセ

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カテゴリ:思い出( 13 )

思い出の一曲  22才の別れ

初めて一緒に祝った、夫の22歳の誕生日。
用意した小さなバースデイケーキに
「こんなふうに祝ってもらうのは初めて。」と感激してくれた。

あの頃よく歌った 「22才の別れ」

        

今日はダーリンのお誕生日。
買い物には行ったものの
プレゼントは・・変わり映えのしない・・ヱビスの黒ビール。

「あなたの欲しいものは、多分お店には売れていないものね。」
「そうだね・・僕は満ち足りている。ありがとう。」


ダーリン、お誕生日おめでとう! 053.gif

More:今日の広場
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by nonisaku-hana | 2012-02-20 23:56 | 思い出

みんな此の光の中へ!

万物節   山村暮鳥 「風は草木にささやいた」 より

雨あがり
しつとりしめり
むくむくと肥え太り
もりあがり
百姓の手からこぼれる種子(たね)をまつ大地
十分によく寝てめざめたやうな大地
からりと晴れた蒼空
雲雀でも鳴きそうな日だ
いい季節になつた
穀倉のすみつこでは
穀物のふくろの種子もさへづるだらう
とびだせ
とびだせ
蟲けらも人間も
みんな此の光の中へ!
みんな太陽の下にあつまれ


中学1年の国語の教科書の巻頭にあった詩が、この「万物節」。

「誰か読んでくれる?」
「はい!」 即座に応えた声の主は、隣町の小規模校出身の女の子。
最初の授業で、いきなり手を挙げた彼女の勇気に、誰もが驚いた。
さらに度肝を抜かれたのは・・彼女の堂々たる、大人顔負けの素晴らしい「朗読」にだった。

「むくむくと 肥え太り もりあがり・・・」 絶妙な抑揚、彼女のよく響くアルトの力強い声が蘇る。
友達のいない新しい環境に飛び込んだ少女の、気迫に満ちた、とても気持ちの良い朗読。

実は、彼女には当時田舎の小学校には珍しかったTV放送部での実績があった。
そのことをご存知だった先生が、彼女の能力を発揮する場を用意されたのかも知れない。
ともあれ、先生は彼女にもみんなにも、エールを送ってくださったのだと思う。

毎年、新入学・進級の季節を迎えると思い出す、あの日の彼女の「万物節」。

みんな此の光の中へ! みんな太陽の下にあつまれ

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by nonisaku-hana | 2011-04-08 10:11 | 思い出

未遂

高3の終わり・・

わたしにはどうしても行きたい所があった。
決行するには、夜汽車しかなかった。

都会に行くのに田舎丸出しのスノーブーツでは・・
昼のうちに下駄箱から赤い靴を抜いておいた。

二階の窓から雪の上にバッグを落とし、
こっそり家を出たのは、母が夕食の支度に余念のない時間。

門を出て最初の曲がり角までは夢中で走った。
そして蒼く光る雪道を、駅へと急いだ。
凍った雪がザクザクと音をたて、忽ち靴が凍みた。


切符売り場の列に並び
ジリジリしながら順番を待った。

とうとう・・わたしの番がきた。
一歩踏み出して、行き先を告げようとした
その時・・「Mちゃん!」と右肩に手が置かれた。

振り向くまでもなく
駅に一番近いところに住まう伯母の声だった。

しまった・・置手紙なんかするんじゃなかった・・。

行列の先頭で伯母と揉みあう事などできはしない。
厳寒に駆けつけてくれた伯母に、抗えるはずもなかった。


わたしの無謀な計画は
実にあっけなく未遂に終わり・・

気がつけば
ベルボトムのGパンが
膝下までバリバリに凍っていた。
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by nonisaku-hana | 2010-02-09 23:44 | 思い出

念願叶って・・

姿見の傍に蝋梅の花が芳しい香りを放つ・・「しまね自然の学校・倶楽部はうす」のカンファレンスルームで、今日、娘は初めての着物をtaeさんの真心でとても美しく着付けていただいた。。
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母はいつも・・この着物はみなMちゃんに・・と
自分の着物をひとり娘のわたしに譲ることを前提に考えていた。

時代は移り・・
茶道の嗜みももたないわたしは、晴れの日にしか和服を着る機会を無くしたが、
母がわたしに誂えてくれた着物は・・やはり娘たちに着せたかった。
母の見立てを、今日は改めてしみじみ・・嬉しく・・ありがたいと感謝した。

色鮮やかな琉球紅型の着物だから、スタンダードに装わせたい・・
taeさんが上品にアレンジしてくださった。髪は着物に負けないように華やぎをもたせて・・。
髪飾りは最終的に、着物と同じ縮緬のシンプルで愛らしい「花一輪」になった。
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思い出多き着物が、娘時代のわたしより・・ずっと素敵に受け継がれた。
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成長した娘の晴れ着姿を見てもらいたい・・「お父さん・お母さん」と呼ばせていただき、長年お世話になっているご夫妻(友人のご両親)を訪ねた。

「100歳になったおばあちゃんにも是非!」と久し振りに別宅にも伺った。2・3日前までピンシャン歩いていたのに、腰を痛めて・・と、臥せっておられた。

「今日がこんなに『良き日』になろうとは・・。」と
おばあさまは、涙しながら合掌された。

「今年の書初めの中から好きなのを選んで・・お持ちなさい。」
勧められるままに、娘はありがたく素敵な二点を頂戴した。

「Mちゃん、お幸せに!」娘の手をとり何度も何度も仰って、
お暇する際もベッドから拍手で送ってくださった。
娘は、ほんとうにシアワセ者!

念願が叶い、焚き火小屋をはじめ、縁の皆さまから娘にいただいたご厚情に・・感謝!!感激!!
このうえなくシアワセな母娘の一日だった。

お母さ~~ん、あなたの孫娘は、すごく綺麗だったよ~。
写真・・きっと・・泣くよ・・。
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by nonisaku-hana | 2010-01-27 21:21 | 思い出

故郷のお正月

*シンプル雑煮(実家ではお餅は別茹でしてお汁をはったお椀にいれる。)
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*おやつに美味しいアベカワ餅  食べ過ぎだけど・・お正月だもんね・・

a0125343_17545182.jpg友人宅での元旦は、大根と昆布と油揚げ入りのお雑煮で祝う。Mちゃんは出雲生まれだが、亡くなったお母さんはお雑煮嫌いで作らなかったのだそうだ。
「え?じゃあ・・お正月は?」
「黄粉餅だったけん、旦那の実家のお雑煮を抵抗なく採用してあげられるんよ。」

浜田でも、夫だけはシンプル雑煮、一人分を別仕立てだ。やはり食べ慣れたお雑煮がいいのよね。

実家のお節は、二組のお重に詰めていた。
来客用・・朱塗りの手提げ五段重で堂々たる松の木が沈金で描かれている。一の段から順に深くなっていて、わたしはこのお重の松が見事で大好きだ。
家族用・・黒に松竹梅がシンプルなデザインで沈金されているもの。

お客様にも喜ばれたのは鶏を丸ごと捌いてもらって、たっぷりのお酒と砂糖、薄口醤油で炊いたもの。丸ごとだからモツも小さな卵もある。これは父の十八番で、お正月にしか食べられない。骨付きのぶつ切り鶏で、わたしも作ったことはあるが・・父の味とは違っていた。

父のお正月に欠かせないのは、珍味の海鼠腸(コノワタ)とカラスミ。
今どきはビン詰めのようだが、わたしの記憶には竹筒の栓をあけた穴からコノワタを流し出し、鋏で切る父の姿が目に焼きついている。

夏にしか帰省しないので、故郷のお正月は遠い記憶の中にしかない。
それでも毎年、さまざまな思い出とともに蘇えってきて懐かしい。
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by nonisaku-hana | 2010-01-03 23:45 | 思い出

夜の爪切り

お風呂上がりにツメを切るとき、わたしはいつも心の中でつぶやく。

「夜切るツメは、なんのツメ・・」
「犬(いん)のツメ!」

京都の東山、清水寺のすぐ近くに住んでいた
祖父の従兄弟のご夫婦のやりとりを聞いたのは、高校生の時。

最初はなんのことか判らなかった。
そしてああ、と思い当たった。
「夜にツメを切ると、親の死に目に会えない。」回避策!?


わたしは京都のおばさんが、大好きだった。
「天涯孤独のうちをな、おじさんはお嫁さんにしてくれはったんえ。
こんなぶさいくなうちやのに・・もろうてくれはったんえ~。」
わたしにそう話してくれたおばさん、おじさんもニコニコしていた。

いつも笑顔のおばさんは、おじさんへの感謝を忘れないひとだった。
穏やかな京ことばのふたりの会話は、とても心地よくて優しい気持ちになれた。

ツメを切る度、今でも・・おふたりの声が耳に蘇える。
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by nonisaku-hana | 2009-11-16 22:11 | 思い出

空と海

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それは学生の頃だったかも知れない。
一度だけ・・母校の小学校を訪れたことがある。
だが、懐かしい木造校舎の姿はもうなくなっていた。前庭や池はそのままのようだったが、新校舎に近づいてみる気にはなれず・・踵をかえした。

夢に出てくる、あるいは記憶に残っている、
教室、階段、講堂、中庭、渡り廊下・・昔のままのイメージを壊したくなかったのだろう。

しかし中学校、高校とも、わたしの時代には既に鉄筋コンクリート3階建だったのだから、小学校の変貌は必然のことに過ぎなかったのだ。


このイチョウの大木の下には、「・・小学校跡」の石碑がある。

イチョウの大木の下から、子供たちの声が絶えて何年経ったのだろう・・
統合された現在の小学校のHPを見た。

明治7年創設以来、幾度もの改称を経てようやく石碑の名前が出てくるのだが、その後もまた改称を重ね、統合されている。
同じ校舎に学びながら母校の名はそれぞれの卒業生の時代によって違うということになる。

More 今日初めて・・
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by nonisaku-hana | 2009-10-14 23:53 | 思い出

秋の海で・・

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高3の秋から冬にかけて、お天気のいい日は必ず、自転車で海へ出かけた。

長い坂を懸命に漕いで息を切らしながら登りきると・・
眼下に広がる深いブルーの海と、
急に吹き上がってくる潮風に迎えられる。
とても爽快な瞬間だった。

そこからは緩やかに右に下りながら袖ヶ浜に向かう。
自転車を止め、誰もいない砂浜に降りてゆく。
波打ち際を歩いて、少し下がったところに腰を下ろす。

空と海の色の移ろいと流れる雲を飽かず眺めるのだ。
物思いに耽る時もあれば、ぼーっと過ごすひとりっきりの至福の時。

More ある日・・
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by nonisaku-hana | 2009-10-10 18:19 | 思い出

硬めのご飯

*今晩の炊きたて・・ツヤツヤご飯  天地換えをしてほぐして・・湯気で、携帯のシャッターがなかなか下りなかった。
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わたしが物心ついたときには、電気炊飯器があった。
驚くべきことに、それは四半世紀以上!も、毎日ご飯を炊き続けたのだ。

昔は、魔法瓶と同じ構造の保温ジャー、後には電気保温ジャーに、ご飯を移し換えていた。ご飯を移し終えると、お釜には、こびりついたご飯粒が残る。

父はご飯を一膳食べ終えると、釜にお湯を注ぎ、丁寧にご飯粒を杓文字でこそげ落とす。そしてお茶碗に移し、お湯を切り、改めてお茶漬けにしてサラサラっと食べる。

そんな父の姿に・・抵抗がなかったと言えば嘘になる。

だが、一粒も残さず丁寧に食べる父の姿に、
「お米は八十八の手間が・・」と云々されるよりずっと・・
「おコメを粗末にしてはならない。」と教えられたように思う。

いつだったか、こんなことを父が言った。
「釜の底を気にしながらご飯を食べるのは厭なものだ。」


父は、「食」にやかましい人ではない。
ただ、ご飯だけは・・少し硬めでないといけない。
わたしも硬めのご飯が好きである。


先日、上津の「焚き火小屋」で
それはそれは贅沢な・・美味しい「かまど」炊きのご飯をいただいた。

「父にも食べさせてあげたいなあ・・」
そんな思いで、少し硬めのご飯をゆっくりと噛みしめた。
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by nonisaku-hana | 2009-10-02 00:10 | 思い出

プカプカ・・

ちょっと小振りで、ゴマがたくさん入ったカリッと甘い柿。青りんごならぬ「青い柿」が母の田舎にあった。

ある日曜日、友達を誘ってその柿を採りに行った。祖母は留守で、当時高校生だった一番下の叔父が柿を竹ざおで採ってくれ、袋に入れて持たせてくれた。

その帰り道、Kちゃんが「この道をずっと行くと、わたしのおばあちゃんの家がある。行ってみようか。」と、言い出した。隣町に越境入学していたわたしは、仲良しと遊ぶには学校帰りに道草するしかなかったので、休日を一緒に過ごすことができた嬉しさに、この提案を即座に受け容れた。

小学校6年生女子ふたりの小さな冒険は、こうして始まった。

More それから・・ 
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by nonisaku-hana | 2009-09-23 01:32 | 思い出
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花鳥風月を友とし、ささやかな幸せを喜び感謝するわたしの大切な日々。


by nonisaku-hana
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