一輪のシアワセ

naminoma.exblog.jp ブログトップ

タグ:思い出 ( 11 ) タグの人気記事

閂と取っ手

休日ごとに少しずつのリフォーム。
先週の土曜日、仕事から帰ったら、押入れに両開きのドアがついていた。

a0125343_2434369.jpg

             *実物は、写真より華奢な感じです。

「わ~~、どうしたの!?これ。 ネットで買ったの? 鉄?」
「鉄の鋳物。イギリスで買ったの、やっと使えた。」
なんとなく夫は嬉しそう。

「じゃあ、これも?」
「そうだよ。まだ仮止めだけど。」

a0125343_2441922.jpg


20年ほど前、友人たちがドイツやイギリスに遊学していた頃
格安で行けるからと誘われて、夫は3週間ほど滞在させてもらったことがある。
家具に使うつもりで金具類を買い求めていたらしい。

あの頃、上の娘はまだ幼稚園だった。
あぁ・・わたしたちも若かった・・。

長い間仕舞われていた
異国の 閂と取っ手
ようやく日の目を見ることができて・・よかったね。
[PR]
by nonisaku-hana | 2011-06-03 00:30 | happy little things

みんな此の光の中へ!

万物節   山村暮鳥 「風は草木にささやいた」 より

雨あがり
しつとりしめり
むくむくと肥え太り
もりあがり
百姓の手からこぼれる種子(たね)をまつ大地
十分によく寝てめざめたやうな大地
からりと晴れた蒼空
雲雀でも鳴きそうな日だ
いい季節になつた
穀倉のすみつこでは
穀物のふくろの種子もさへづるだらう
とびだせ
とびだせ
蟲けらも人間も
みんな此の光の中へ!
みんな太陽の下にあつまれ


中学1年の国語の教科書の巻頭にあった詩が、この「万物節」。

「誰か読んでくれる?」
「はい!」 即座に応えた声の主は、隣町の小規模校出身の女の子。
最初の授業で、いきなり手を挙げた彼女の勇気に、誰もが驚いた。
さらに度肝を抜かれたのは・・彼女の堂々たる、大人顔負けの素晴らしい「朗読」にだった。

「むくむくと 肥え太り もりあがり・・・」 絶妙な抑揚、彼女のよく響くアルトの力強い声が蘇る。
友達のいない新しい環境に飛び込んだ少女の、気迫に満ちた、とても気持ちの良い朗読。

実は、彼女には当時田舎の小学校には珍しかったTV放送部での実績があった。
そのことをご存知だった先生が、彼女の能力を発揮する場を用意されたのかも知れない。
ともあれ、先生は彼女にもみんなにも、エールを送ってくださったのだと思う。

毎年、新入学・進級の季節を迎えると思い出す、あの日の彼女の「万物節」。

みんな此の光の中へ! みんな太陽の下にあつまれ

a0125343_1403963.jpg

[PR]
by nonisaku-hana | 2011-04-08 10:11 | 思い出

「責任」

小6の時の担任の先生の国語の授業は、とても緊張する時間だったものです。
長い黒髪をキリリとまとめあげた美しくも厳しい先生に教わった言葉、
それは「責任」。

長い年月が経ち、
その言葉をようやく自分の身に照らせたのは、わたしが40代になってからでした。

先生はこう仰ったのです。
「『責任』とは、その人のなすこと全てにある(生じる)。」と。
辞書の解釈を超えた言葉は、子ども心に疑問符とともに深く刻まれました。


今また改めて、わたしは先の恩師に深く頭を垂れるとともに、
その「行動」に敬意をもって、ここにご縁をいただいているブログをご紹介させてください。
そして、そちらに集う国内外のたくさんの方々の真摯な「言動」もまた。
「瓦のキッチンストーブ」の存在、その有用性、広めようとしておられる活動等々をご理解いただき、
皆さまの遠く、近くの周囲の、まだご存知ない方々にお知らせいただけたらと願うものです。

*「焚き火小屋の備忘録」 「瓦のキッチンストーブ」を体験してください。
*「山の子」 特別編 <被災地に届いて。瓦のキッチンストーブの作り方
*「田園に豊かに暮らす」 「瓦のキッチンストーブでピザ」を焼く

人それぞれ、出来ることは千差万別です。
わたしは、あの日の「責任」という言葉を肝に銘じ、わたしにも出来ることがある、と信じて、実行しよう。
そして何より、愛する人々との日常を、生涯大切にしていこう。

気負うことなく。

a0125343_1704221.jpg

後先になりましたが、
この度の大震災の犠牲となられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げますとともに、
被災された皆さま、そのご家族の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そしてあらゆる場面で支援・復興にと身を削っておられる方々のご無事をお祈り申し上げます。
[PR]
by nonisaku-hana | 2011-04-06 22:54 | 出会い

未遂

高3の終わり・・

わたしにはどうしても行きたい所があった。
決行するには、夜汽車しかなかった。

都会に行くのに田舎丸出しのスノーブーツでは・・
昼のうちに下駄箱から赤い靴を抜いておいた。

二階の窓から雪の上にバッグを落とし、
こっそり家を出たのは、母が夕食の支度に余念のない時間。

門を出て最初の曲がり角までは夢中で走った。
そして蒼く光る雪道を、駅へと急いだ。
凍った雪がザクザクと音をたて、忽ち靴が凍みた。


切符売り場の列に並び
ジリジリしながら順番を待った。

とうとう・・わたしの番がきた。
一歩踏み出して、行き先を告げようとした
その時・・「Mちゃん!」と右肩に手が置かれた。

振り向くまでもなく
駅に一番近いところに住まう伯母の声だった。

しまった・・置手紙なんかするんじゃなかった・・。

行列の先頭で伯母と揉みあう事などできはしない。
厳寒に駆けつけてくれた伯母に、抗えるはずもなかった。


わたしの無謀な計画は
実にあっけなく未遂に終わり・・

気がつけば
ベルボトムのGパンが
膝下までバリバリに凍っていた。
[PR]
by nonisaku-hana | 2010-02-09 23:44 | 思い出

罪滅ぼし

a0125343_17204034.jpgもう秋なのに・・浴衣?

大学生の娘が、「学園祭で着るから送って。」と言ってきた。

箪笥に何枚も眠っているわたしの浴衣の写真を送ったら、娘はこれを選んだ。わたしの予想どおりだった。色白の娘に良く似合うことだろう。

昔は、ちょっとした会合に母は着物で出掛けたし、その頃の入学式・卒業式には着物姿の母親たちが並んだものだった。

わたしは結婚するまで、お正月は必ず着物で迎えた。

幼い頃は四つ身の、少し大きくなって五つ身の晴れ着。
小学校高学年からは、母の若い頃の小紋を染め直して仕立てた中振袖、
高1で大人の付け下げを誂えてくれた。
いつも母に着付けてもらった。

子どもの頃から着物に馴染んできたのに・・
このわたしは、我が娘には浴衣一枚着せたことがないのだ。

ああ、なんて怠慢!な母親だろう・・
心から後悔している。

今日は、娘に送るために着付けの手順とコツをこと細かく写真に撮った。
ネットで検索すれば、いくらでも着付けは学べるだろう。

だが、怠慢これ極まりない母の、せめてもの罪滅ぼし・・である。
[PR]
by nonisaku-hana | 2009-09-30 19:43 | happy little things

最優先

子供の頃、
耳が悪いのではないか・・と母は心配したと言う。
「ご飯よ~」の呼びかけに返事をしない、わたしのことをである。

階下からの母の声、聞こえてはいる・・
面白くてたまらない本を途中で遮られたくなかった。


わたしは、子供の頃から寝つきが悪い。
どんなに疲れていても、眠くても・・
いざ目を閉じると、その日の出来事、自分の言動、他者との会話などが頭をよぎるからだ。
特に人との関わりが多かった日などは、頭の中で反芻されることが増すことになる。
だから本の世界に集中して、ようやく・・静かな自分を取り戻せる。


ブログを始めて、わたしの夜の時間の過ごし方が大きく変わった。
拙くはあっても・・
自分の日常を書くという作業には、たとえ些細なことに過ぎなくても、
さまざまな思いが交錯したり、連鎖する思いも伴う。
感じることや考えさせられることが、派生的に増えたということでもある。


ブログを始めて4ヶ月・・新しい出会い、発見や気づきに恵まれた。
今手元に、じっくり読みたい本が7冊ある。

これからもブログを楽しむために、読書を最優先にしていこう。
少し前から考えていたことに、ようやくゴーサインを出した秋の夜である。
[PR]
by nonisaku-hana | 2009-09-29 00:35 | books

プカプカ・・

ちょっと小振りで、ゴマがたくさん入ったカリッと甘い柿。青りんごならぬ「青い柿」が母の田舎にあった。

ある日曜日、友達を誘ってその柿を採りに行った。祖母は留守で、当時高校生だった一番下の叔父が柿を竹ざおで採ってくれ、袋に入れて持たせてくれた。

その帰り道、Kちゃんが「この道をずっと行くと、わたしのおばあちゃんの家がある。行ってみようか。」と、言い出した。隣町に越境入学していたわたしは、仲良しと遊ぶには学校帰りに道草するしかなかったので、休日を一緒に過ごすことができた嬉しさに、この提案を即座に受け容れた。

小学校6年生女子ふたりの小さな冒険は、こうして始まった。

More それから・・ 
[PR]
by nonisaku-hana | 2009-09-23 01:32 | 思い出

花の便り

ある秋の日、友からの便りの中から・・ほのかに甘く香るオレンジ色の小さな花びらがこぼれ落ちた

More 続く・・
[PR]
by nonisaku-hana | 2009-09-17 00:10 | friends

故郷の今

実家までの長い道程もあと残すは20分ほど・・「あぁ故郷に帰ってきた」と思わせてくれる美しい里山の風景が車窓に現われます。そこは三井町、わたしと直接的な接点のまるでない集落なのにホッとするのは、能登の昔ながらの家屋や蔵、そして濃い緑がそこにはまだあるからです。

帰省を終えてから素敵なブログを見つけました。そこには、懐かしいものばかりか、とても素敵なわたしの知らない故郷の「今」がたくさん!ありました。

嬉しい驚き★は、そのブログが若き移住者さんのものでした。明日から始るお祭りに参加されるようで笛の練習もしておられ、地元の人々との共生が、それは素直に綴られていて、わたしの期待、予想をはるかに上回る「故郷」を発見できました。わたし自身のこれからの故郷との関わりを考えさせられます。

是非ご覧いただきたく、ここに紹介させていただきます。たくさんあるブログテーマから、興味をもたれた記事をどうぞ。まだわたしもひとつひとつ楽しませていただいているところです。
「奥能登の魅力発見!」by notokkoさん

往きも帰りも・・・実家から僅かな距離のせいで途中下車することもなく通り過ぎてしまうのですが、立派な藁葺き屋根の「三井の里」来年こそは立ち寄りたい、帰省の新しい楽しみがひとつ、ふたつと増えていくようで・・・とても嬉しい。

*両親へ孫からの置き土産 父の似顔絵(長身で結構ハンサムです)

a0125343_1916860.jpgイベント会場などで似顔絵描きのバイト(修行中・・・)をしている次女が、両親を描いてくれました。特にじっと構える必要はなく、描く作業と退屈させない会話、完成までの全てを楽しんでいただくパフォーマンスだそうです。娘は小さなお客様が大好きで、好みの漫画やキャラクターを描き添えるとか。

母、父、わたしの順に描いて、顔の横に似顔絵を持って写真も撮りました。先に描いてあった長女のと4枚を書院の棚に並べてみると、やはり親・子・孫、血のつながりを感じたことでした。わたしが描いてもらっている時、弟が通りがかって「遠慮せんでいいよ、ありのままで・・・」大きなお世話!です、まったく。

両親もわたしも、好き勝手な注文をつけたりしましたが、娘はにこやかに応じてくれて、とても賑やかで楽しい時間でした。ちぎり絵などを楽しむ母が色紙額を持ち出して、さっさと自分のだけ額に納めていました。わたしたちのはいつ額に入れてもらえるのやら・・・
[PR]
by nonisaku-hana | 2009-08-21 23:37 | 故郷

なくならないもの

*ずっと気になっていた・・子どもの頃住んでいた家 家が傾いていますが、生憎写真はこれ一枚きり。動揺したのかも・・
a0125343_18213053.jpg

大きなお屋敷で幾所帯もの人たちと同じ屋根の下で暮らしていたのは、わたしが小学校1年生の頃まで。正面玄関からの廊下は、広い畳敷きで、その片側の二部屋と踊り場のある階段を上がった二階の二部屋が、わたしたち家族の住まいでした。

土間の広い台所の続きには共有スペースの黒光りした板の間があり、台所へ張り出した縁側で幼いわたしは肢をブラブラさせて母の立ち働く背中を眺めたものです。中庭に面したお座敷のおばあさんを訪ねたり、大きなウォーターベッドのある洋間の主であるお兄さんに遊んでもらったり。長い廊下をスキップで渡って離れに行っておやつをご馳走になって、裏庭で花を摘み。冬には前庭に積もった雪でカマクラを作り、蔵に続く納屋の梁にブランコを下げてもらったこともある・・キリが無いほど些細なことまで蘇えってきます。

大所帯の共同生活、祖母はわたしの誕生を喜んだその年に亡くなり、当時最年少だった新入りの母は、大変な気苦労だったようですが、蔵以外はどこでも出入り自由で遊び場に事欠かない・・それが幼いわたしに与えられた最大の特権だったかも知れません。そのおかげで、大体の間取りを今でも覚えているのでしょう。

-------------------------------------------------------------------

実家の前の道路が一方通行で、出かける時に必ず通る道路に面してその家はあったのです。近くなので、夕方散歩がてらに娘たちを伴い訪れてみたら、正門が壊され、新しい板塀で塞がれていて、母屋も蔵も・・見えない!離れだった部分が改築され、裏だったところが正面になっていているではありませんか。

随分前に、正面は道路拡幅の為に削られたものの、昨年までは大きな門の扉は閉ざされたまま残っていたのに。辛うじて塀の斜めの隙間から中を覗くことができましたが、完全に新地と化し新しい家とも柵で仕切られていました。

何もかも大きく見えた子ども目線の記憶と現実のギャップが怖くて、門の扉を開けて見たいような、見ないほうがいいような思いでずっと気掛かりだった家が、とうとうなくなってしまいました。

家に帰り、改めて当時の人たちのこと、祖母のこと、当時の暮らし、いろいろ母に尋ねてみました。残念で寂しいけれど、自分の中に決して色褪せない記憶があることを再確認できて良かった・・と今は思っています。
[PR]
by nonisaku-hana | 2009-08-20 01:41 | 故郷
line

花鳥風月を友とし、ささやかな幸せを喜び感謝するわたしの大切な日々。


by nonisaku-hana
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite